今年楽しかったアニメ

今年は10選のをやれるほど出てないので。とりあえず今年のアニメの感想を書いておく。

ハナヤマタOP
俺自身がらきすたハルヒからアニメ入ったってのがあると思う。その2つのダンスと違って、ハナヤマタは歌の前半が、サビのダンスを盛り上げるために作られてるようなところがある。音楽的にも、映像的にも。
結局、エロくていいねって話なんだけどね。

未確認で進行形OP
本編も褒めてる人が多いけど、俺はあんまり好きな作品じゃなかった。どうも、作画にモノを言わせてる感じで…。それだったら、いっそ本編がOPを味付けしてるという風に解釈して、OPメインで作品を見ようってことになった。放送終わってもしばらくOPは見てた。
アニメーションの心地よさとしては今年ベスト。

ポケモンXY
当たり外れが激しい。見たことないくらい面白い演出やレイアウトの回があった一方で、無駄に面倒な構図使ってて見づれえなーって時もあった。

ラブライブ
特にスノーハレーション。
1期の時はそんなにみんなが言うほどか?って思ってたんだけど、2期をじっくり見たらやっと面白さが分かってきた。
特にスノーハレーションのライブは見事で、アイドルアニメやべえなって。視聴者と映像とのシンクロ。アニメだから吐ける嘘。

甘城ブリリアントパーク
京アニは最近、演出に凝って視聴者置いてけぼりにしてた感じがあったんだけど(日常、氷菓、たまこま。中二恋でさえそうだった)、甘ブリではそういうのがない。

ピンポン
この作品を語るだけの表現力を持ってないのでパス。面白かった。

MEMEME
だっけ。アニメ(ーター)見本市のやつ。
映像として面白かったということと、同時に、自分はこういうアニメ好みじゃないなって改めて思った。
ああいう演出の好きだ嫌いだって話じゃなくて。アニメって時間の芸術ってところがあるから、アニメを見るという行為は、自分の時間感覚をアニメのそれにフォーマットすることに繋がる。
アニメーター見本市のやつは、どれも力がこもってる、というか、力こめました!って作りになってるから、あんまり自分を同化(?)出来ない。
今思えば、自分がビバップとか灰羽連盟とか、有名な一部のアニメを楽しめないのは、その時間感覚だとか見せ方みたいなものが体に合わないからかも。
MEMEMEの話じゃねえじゃん。

人生
例えば疲れた日に自分をフォーマットするには、こういう作品が一番良い。

スペースダンディ
面白いんだけど、見ると体力使うからまだ全部見れてない。ぬいぐるみのペンギンかなんかと入れ替わる回は、おそらく今年で一番面白い1話だった。

桜Trickニセコイあいまいみー、てさぐれ部活もの
演出が一貫しているから、全体で見てもよくまとまっていて、毎回安心して見ることが出来た。


書きたいこと、考えたいことはたくさんあるのだけど、なかなかアニメに時間を割けない…。来年はもっとアニメを見たい。
良いお年を。

苺ましまろ動物園とヤマカン

日常系についてネットサーフィンしてたら、少し昔の2chの書き込みで、
「美少女動物園を日常系の枠にいれるのやめろ 例えるなら日常系→野生の動物ドキュメントであって動物園とは別物だ 細分化されるべき」というのがあった。

この意見は、動物園と野生動物を勝手に対比して、動物園があるなら野生動物もいるはずだと思ってしまったところに問題がある。
アニメには脚本があるのだから、アニメは本当の意味でドキュメント足り得ない。アニメは全て、ドキュメントで無いという意味では動物園だし、野生動物を見たければ外を歩くしか無い。

とかカッコつけたはいいけど、そもそも「美少女動物園」とはなんぞやと思い調べてみると、どうやらこれは山本寛監督の言葉らしく、ますます分からなくなった。
個人的に最も美少女動物園的なアニメは『苺ましまろ』の神戸守回だと思ってるんだけど、その動物園性はまさに山本寛的なFIXによって成り立っている。
しかしそんな中、ヤマカンは既に「サムデイインザレイン」で、FIXによって動物園を開放することに成功してるわけで。じゃあなんで今更こんな言葉作ったんだ。分からん。

『ヤマノススメ』のOPがOP向きではない理由

ヤマノススメ セカンドシーズン』のオープニングは、本当に面白いと思うけれど、1つ気になるのはこれが「オープニング」であるということ。


 
他の石浜のものと比べても、ストーリー性・テーマ性が強く感じられる。
山登りの日の朝から始めて、最後には寝袋で終わらせる。終盤には夏祭りを思わせる部分もあり、全体として朝から夜にかけての1日を演出している。
テーマも明確で、何度も出てくる4人で並んで歩くシーン、ラストの4人で揃っての「夏色プレゼント」。
4人で楽しく山登りをし、フレーズ「夏色プレゼント」で表されるその思い出が印象深いものであったことがシンプルに訴えられている。


しかし、この完璧な構成によって、オープニングがオープニングだけで完成されてしまっているのもまた事実。
ヤマノススメがどんな作品かが、いやというほど分かってしまう。



本来オープニングは作品の導入であるはずだ。例えば歌詞に関して言えば、他の石浜作品を見ても、『NHKにようこそ』では「歩き出そう」、『Aチャンネル』では「お喋りが始まる」で終わっている。これらは作品の流れを提示するに留まっている。
他方、ヤマノススメでは状況が違う。『ヤマノススメ(本編)』は結局、楽しく山に登る、その1日を描いたアニメになっているが、これがオープニングに凝縮されすぎてしまっている。
オープニングは、静かな雰囲気の中での「夏色プレゼント」という言葉で締められている。賑やかに始まっては静かな雰囲気で終わり、そこには起承転結の「結」が強く感じられる。これでは心がオープニングで切れてしまい、本編にスムーズに接続されない。

こういう理由から、この『ヤマノススメ2期 オープニングアニメーション』という作品は、オープニング向きではないと思う。
ヤマノススメ』の上手い要約が出来た、素晴らしい「作品」なのだが、本当に惜しい。

アニメの「難民キャンプ」って言葉は本当に偉い

最近ニコニコ動画で、コメント付きでアニメを見ることがある。コメントが邪魔なこともたまにあるが、突っ込みどころの指摘も、大文字で表現された好きなキャラクターへの愛も、見ていて飽きない。
そんなコメントの中に時々現れるのは、「○○難民」という言葉だ。これは、「主に日常系アニメの最終話以降や、ゲーム・サイト等のメンテナンスにより居場所を失い、やり場のない思いに苛まれながら彷徨う者達(ニコニコ大百科)」のことを指すが、その派生に、「難民キャンプ」という言葉もある。
「難民キャンプ」とは、その難民たちの救済の地といったところだろう。具体的には、『グラスリップ』は『true tears』の、『ハナヤマタ』は『きんいろモザイク』の難民キャンプらしい。個人的には『六畳間の侵略者』は『彼女がフラグをおられたら』の難民キャンプであると思っている。

ここで気がつくのは、「難民キャンプ」という言葉が、視聴者が根底のところで、アニメの中に要素を感じ取っていなければ生まれ得ないことだ。
グラスリップ』が『true tears』と多くの共通点を持つことは良いとして、人によっては『六畳間』が『がおられ』の難民キャンプであるとは思わないだろう。俺が共通点を感じるのは、どちらもハーレム物で、各キャラの個性が強く、風呂敷の広さの割に「女の子」に収束しそうなテーマになっているところだが、理解できない人も多いはずだ。
現に俺は、『ハナヤマタ』が『きんモザ』の難民キャンプであるとは思えない。一緒なのは金髪の転校生がやってくることだけじゃん、と。

俺は『がおられ』『六畳間』に「女の子主義のハーレム物」という要素を強く感じていたが、『きんモザ』『ハナヤマタ』に「金髪の転校生」を感じなかった。しかし、そうでない人も多いだろう。
人によって難民キャンプ指定アニメが違うのは当然だ。人それぞれアニメを見る時に注目している要素が違うのだから。

そう、その難民キャンプの違いには、個々が、あるアニメを見る時に注目している要素の違いが如実に現れると言えよう。
元々「難民」とは、「やり場のない思いに苛まれながら彷徨う者達」のことだった。であれば、「難民キャンプ」という言葉には、「受け入れ元」のアニメが、その人の愛して止まないものとなった理由になる要素が隠れていることになる。

俺はこの「難民」・「難民キャンプ」という言葉を作り、使い、流行らせた人たちに、感謝する。
もう作り手由来の「フォロワー」などという言葉を使う必要はない。作品由来、視聴者由来の言葉で、「似ている」や「好き」を伝えられる。
ただ素直に、「このアニメは俺にとってあのアニメの難民キャンプなんだ」と言えばよいのだ。

山本裕介を上手く表現出来ない

山本裕介が気になって、監督作を何本か続けて見た。

一番のお気に入りはB型H系田村ゆかりが本当に強い。
田村ゆかりこそがアニメであるが故、アニメ的な演出がこれ以上なくフィットしてる印象。

そして、可愛さが作品を正当化する。徹底的な速さ、直球な絵柄、作風。ギャグも規制を振り切る直球勝負。
全部コンボで繋がってる感じ?途切れることなく20コンボくらい繋がってて、その快感がある。

これらは監督の他の作品にも共通すると思う。
山本監督の面白さは、スピードコントロール・雰囲気作りにある。作品を邪魔することは全く無く、原作の持ち味を伸ばすのが本当に上手い。

強いて特徴を上げるとするなら、メタ的な視点が強いことかもしれない。
NHKにようこそやケロロはもちろんのこと、今期のヤマノススメでさえ、何か作り物的な印象を受ける。生身ではない。シルバニアファミリーを感じる。

「視聴者を楽しませるための、手の込んだチープな演出」
こう書くと微妙そうなんだよね…。もっともっと面白いんよ。

「がおられ」7話 断絶による時間圧縮

前回のコメットさんの話に引き続きというか。がおられ見てると、時間って大切だなって思う。

ヒロイン各個撃破のアニメの整合性。1クールでこれを示しつつ、女の子アニメをするのは本当に難しいんだろうね。
その苦肉の策が、この、断絶を感じさせる演出。

例えば、会長とのデートからバスに乗るまでとか。日を跨ぐ時も。明るいシーンから暗いシーンに入る時も。なんだか違和感がある。
画面の暗転の多様。一段落をつけない。そうやって、同じ調子でまた次のシーンに移っていく。

最初から最後まで、基本的に同じテンポ・トーンで話が進む。
これはある意味で連続的(テンポの統一)であり、またある意味で断絶(言語的・感覚的な繋がりの欠如)でもある。
途中の説明をふっ飛ばしちゃうけど、それにはあんまり気づかないように作ってあるから許してね、って感じなんだろうか。

この不安定な恋愛・友情物とSF物の狭間で、それをもっと不安定にしているのは、たぶんこれらの演出技法だと思う。
1クールで両方をやるには、荒業に出るのも仕方ないのかもしれない。


なんだか否定的な書き方になっちゃったけど、俺はがおられ、OPの時点で泣きそうになるくらい好きよ。


特にこの左のやよやよ言ってる男の娘が好きで(省みることなくあざといのが良い)、だからどんな風に演出してくれたって、本質的には問題ない。

コメットさんと子供向けアニメ

メテオさんのツンデレっぷりがいいなぁ。完全にばいきんまん
たぶんこういう作品は、今の子供向けアニメではなかなか無いのかもしれない。大供向けになりつつあるしな。

当然、視聴中は中村憲由のぽやぽやした演出が目に止まるわけだけれども、おそらくこの作品の面白さにとってそれはスパイスでしかない。

終わってみればこの作品の面白さは作品の長さ、急げば1クールで終われる恋物語・家族形成の物語を3クール使って描くことにある。長い作品はどれもそうなんだろう。
心の動き。それは12,3話で表そうとすると、例えばこの作品の場合、やはり直線的な恋愛に終始することになってしまうのだろう。
十分な長さが保証されて初めて、日常の中で少しずつ動いてゆく・変わってゆく様子を描くことが出来る。本当に少しずつ。

つまり、(散々言ってる気がするけど)作品の長さ―視聴者の感じる長さ―も作品の一部になってるってことだろうね。

ただし、「神戸守」「魔法少女」のCCさくらは、コメットさんと比べた時に、このタイプの作品ではなかった。
あれはもとから存在する、小学校に通っている普通の女の子で、コメットさん、突然星の国からやってきて見ず知らずの人の家に居候する話とは次元が違う(どちらが高次元とかではなく、方向性のような意味で)。


俺はこういった子供向けの長い作品を見ることがあんまりないから、非常に新鮮だった。演出的な評判が良いから見たわけだけども、脚本的な面での発見の方が大きかった。(あとEDのダンス)
ま、逆に言えばその辺勉強不足だから、的外れかもしれんが…。